目に見えて比べやすいことがコンプレックスに
何かと自意識過剰な十代の頃、一番のコンプレックスは「身長」でした。中学2年まで比較的大きい方だったのが、成長期が早めに止まり、どんどん周りに抜かされて、前の方になっていくのがたまらなく嫌で。というか、あの身長順に並ばせるの、よくないですよね。思春期の男子に毎日のように身長を意識させるんですから。
十代ではとにかく見た目重視でしょう。モテるのは、小柄でベビーフェイスなやつか、もしくは背が高くてかっこいいやつ。僕もなんとか身長を伸ばそうと怪しげなサプリを飲んだり、矯正する体操をしたり、写真を撮る時は背伸びしたり、靴になにか仕込んだり…。自分なりに必死でした。たぶん、勉強もスポーツもルックスも、どれも飛び抜けてできるわけではなかったので、「せめて身長だけは」と思っていたのだと思います。
でも、ある日気づいたら気にならなくなっていました。高校卒業後、大学進学もしていなかったので、フリーターとしてイトーヨーカドーの店員をやっていました。はじめて社会に出た場としては、ここが原点かもしれません。そこで感じたのが、社会にでると、身長よりも、仕事ができるとか、コミュニケーション能力に長けているとか、そういったところに評価されるということがわかり、人間性は目に見えないものを含めた総合力なのだと思ったら、人と比べることも少なくなりました。
そして、今度は目に見えるものから、見えないものにコンプレックスは移っていきました。
コンプレックスを解消してみて得られたものとは
次にコンプレックスを持つようになったのは「学歴」です。僕は高卒でフリーターをはじめたのですが、その後、ITベンチャー会社を経て、楽天で仕事をするようになり、周りに大卒の人が増えていきました。楽天だと、東大はもちろん、ハーバードやオックスフォードといった海外の大学、大学院の出身者もいます。漫画やドラマでしか見ないようなエリートと一緒に仕事をするようになったわけです。
僕はたまたま楽天が急成長中に経験者だったから入社できたのですが、新卒なら「大卒以上」の足切りで入れなかったでしょう。転職しようにも条件に「大卒以上」が入っていることも多い…。「人間は総合力で評価」と思っていたのが、社会的属性でスタート地点に差をつけられていたと感じて愕然としました。
そもそも僕は現場で仕事を覚えてきた実感がありますが、大卒以上の人は体系的に仕事をしているように見えました。なんとかこの差を埋めたいと思い、高卒でも社会経験があれば入学可能な大学院を探し、その中からグロービス経営大学院(MBA)に30歳半ばで入りました。評判通り講義は面白かったし、卒業したことで、正式な「大学院卒」という肩書を持ってホッとしましたが、かといって自分自身は変わらない。それよりむしろ、様々な人とハイレベルな仕事をしてきたという手応えが本質的な自信につながっていたことに改めて気づいたのです。そして、大卒でも仕事の仕方は人それぞれだということもよくわかりました。
肩書はそこまで言うほど「たいしたことない」のがわかったのは、体験したから。でも、それを知らないままでは、いつまでもコンプレックスを感じていたかもしれません。
比較されない自由な環境でコンプレックスをコントロールする
コンプレックスを持つことはとても辛いことです。常にヒリヒリと不足を感じていなければなりません。ただ、僕がフリーターのままなら、大卒コンプレックスも抱かなかった代わりに、大学院で学ぼうとも思わなかったでしょう。結果としては肩書にたいした意味もないことがよくわかりましたが、それまでの過程で努力したことには意味があり、大きな自信になったことは間違いありません。だから、コンプレックスの対象を目標として転化し、努力するためのエネルギーにできる余裕があるなら、他者との差異を感じる環境にあえて身をおくことは、決して悪いことではないと思うのです。
例えばこの前、長男の小学校のお友達の親がお金持ちで、そのお友達を通じてハイエンドな生活を垣間見る機会がありました。かつての僕なら、激しいコンプレックスを感じていたかもしれません。でも、一度その環境を体験してしまえば、自分と同じ人間で、全くの別世界ではないことがわかります。彼らの生活に憧れがあるなら、地続きの目標として捉え、自分の足元を見て、しっかり踏みしめていけばいいわけですから。
誰にも比較・強要されることなく、自分で相手との差を埋めるかどうか、差を埋める価値があるかどうかを自分で決められる。その選択の自由があり、コントロールできる余裕がある時に、コンプレックスをエネルギーに転化して有効利用できるのかもしれません。そのためには、小さなグループの中で小さく比較されてコンプレックスを持たされるより、広く自由な環境でコンプレックスを刺激される対象を見つけにいく方が、精神衛生的にもモチベーション的にもよいのではないでしょうか。
レベルはちょっと違うかもしれませんが、日本のプロ野球選手が米国の大リーグを目指す気持ちが少しだけわかる気がします。