人に助けを求めることを恐れない

自分ではどうにもならないことがある

生きていると、誰にだっていろんなことがあるものです。能天気に見える僕にも「うわー、きついなー」と思うことが度々ありました。自己責任と言う人もいますが、おそらく自分でなんとかできることなら「逆境」と感じることは少ないでしょう。良かれと思ったことが裏目に出てしまったり、自分の管轄外でのトラブルに振り回されたり、自分ではどうにもならないことだからこそ、辛いんですよね。

だから、逆境はどんなに恵まれた人にも平等にやってくるものなんだと思います。そう考えれば、少し気が楽になりますよね。そして、差がつくのだとしたら「逆境の時期をどう過ごすか」に尽きると思います。

 

助けを求めることが恥ずかしかった

僕にとって最初の「逆境」は高校時代でした。1990年代後半としては情報教育が進んだ学校で、クラスメイトにもPCオタクが多く、レベルの高さについていけない僕はちょっと浮いた存在として扱われるようになりました。それが急にエスカレートして、ネット掲示板に誹謗中傷が書き込まれるようになったのです。

直接的な悪口や嫌がらせなら対抗できたかもしれませんが、相手はネットイジメ。手も足も出せず、誰にも相談できず、本当に苦しい思いをしました。さんざん迷った末に思い切って警視庁と文部省にメールで相談したところ、首謀者を特定して注意をしてくれたのです。するとピタッとイジメがなくなり、同時に心配してくれていた人の存在にも気づくことができました。

十代の自分にとって外部に相談したことは不本意でしかありませんでした。でも、自分がなんらかのアクションを取ることで状況が変わること、真剣に助けを求めれば誰かが応えてくれること、そんな確信を得られたのは貴重な体験だったと思います。今思えば、それは決して他力本願ではなく、自ら助けを求めたという意味で「自ら助くる」行為だといえるのではないでしょうか。

 

逆境は自分自身をリセットするチャンス

「人に助けを求めるのは恥ずかしい」と思っている人は、かつての僕も含めて少なくないと思います。でも、高卒でWeb会社に入った僕がITバブルにもまれながらも社会人として自立していくためには、どうしても人の助けが必要でした。どれだけ多くの人に助けを求め、助けてもらったかわかりません。

そこで改めて確信したのは、「助けて」と素直に助けを求める人に対して、人は想像以上に優しいということです。でも「助けて」と言えない人が多いなら、助けられた経験がある人が「助けようか?」と手を差し伸べることが必要と思っています。

「いざとなったら助けてもらえるだろう」と、人間に対する信頼感を持てたとしたら、「とりあえず自分でがんばってみよう」という気持ちになれます。そうしたら、ゼロ地点である「逆境」は、自分をリセットして新しい挑戦に向き合える機会になるはずです。

いつまでも「溺れるんじゃないか」と海に入らなければ、ずっとそこにとどまるしかありません。でも、「溺れたら誰かに助けてもらおう」と思えたら、一人で泳ぎだすことができます。そして、意外に自分一人でも遠くまで泳げることに気がつくし、もっと遠くまで行くために助けを求めることも恥ずかしくなくなるでしょう。

 

調子がいい時ほど罠にはまりやすい

そんなふうに考えるようになってから、調子が良いときほど緊張するようになりました。もともと僕は調子に乗ってしまうタイプで、おだてられればその気になってしまいます。かつて楽天にいた頃には、セミナーで講師をやったり、本を書かないかと勧められたりしたことで、かなりの天狗状態になっていた時期もありました。当時は仕事でも成果が出ていたので、自分ひとりでなんでもできるという錯覚に陥っていたわけです。

でも、そんな勢いに乗っているとき時が一番危険なんです。

僕の場合、勉強をしなくなり、他の人の助けを求めなくなったときから、凋落へのカウントダウンが始まります。上手くいっているときは人も合わせてくれますが、ちょっとしくじると誰もが離れていきます。

「逆境はいい経験」といいましたが、本音を言えばできれば避けて通りたいもの。そこで、慢心を防ぐためにも様々な勉強をし続け、自分とは異なる「すごい部分」を持った人とのコミュニケーションを心がけています。常に「足りない自分」と「人との関係」を意識し続けること、それも逆境を経験した効果といえるかもしれません。